本の出版と刊行が決まり、今後更に、著者として深めていくために、ドイツからでも参加できるということで、お世話になった城村典子さまのオンラインでも参加できるふみサロに先日はじめて参加しました。
私のとって、初めての課題は、芥川龍之介の文学作品『白』 でした。
今の時代こそ読みたい、芥川龍之介の作品 『しろ』
ふみサロでは、毎回課題の本があり、それを読んで、自由にエッセイを書いていきます。今回は、芥川龍之介の『しろ』でした。
下記のウィキペディアによると、芥川龍之介の『白』は、晩年の1923年の作品であることがわかります。また、芥川龍之介が大の犬嫌いであった・・と書いてあります。しかし、この作品を書いた時期には、犬に怖がらなくなった・・と書いてあり、何があったのでしょう・・とも思ってしまいました。
この作品は、主人公は、白という犬ですが、友達を助けることができなかった罪悪感から、黒い色になってしまい、一生懸命に良いことをして、白い色に戻るという、勧善懲悪の物語ともいえるし、また、芥川龍之介の緻密なファンタジーともいえる作品です。
この作品は児童文学でもあり、中学受験をする小学生の子供さんの課題でも時々使っているようです。
子供から大人まで、いろいろな価値観から捉えることができる作品でもあります。晩年の作品でもあるので、芥川龍之介の自殺願望も投影されていると書かれているサイトなどもありました。
今の時代、価値観は多様になっています。多くの視点からこの作品を捉えて、多様な価値観を学ぶためにも、短編小説で読みやすく、良い作品であると思いました。
芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892年〈明治25年〉3月1日 – 1927年〈昭和2年〉7月24日)は、日本の小説家。本名同じ、号は澄江堂主人()、俳号は我鬼。
その作品の多くは短編小説である。また、『芋粥』『藪の中』『地獄変』など、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』といった古典から題材をとったものが多い。『蜘蛛の糸』『杜子春』といった児童向けの作品も書いている。
- 師であり自分を見出してくれた夏目漱石を終生尊敬し続けた。いくつかの作品で「先生」という敬称で登場し、遺作である『歯車』『或阿呆の一生』でも言及している。
- 大の風呂嫌いで、めったに風呂に入らなかったという。入ったとしても、手ぬぐいは持っていかなかったという。
- 大の犬嫌いだったが、晩年、死の直前になってからは、なぜか犬をまったく怖がらなくなった。犬を主人公とする児童文学『白』を改造社出版の雑誌『女性改造』に寄稿したのもこの時期である。
- 老年 1914年
- バルタザアル 1914年(翻訳、原作アナトール・フランス)
- 「ケルトの薄明」より 1914年(翻訳、原作ウィリアム・バトラー・イェイツ)
- 春の心臓 1914年(翻訳、原作ウィリアム・バトラー・イェイツ)
- クラリモンド 1914年(翻訳、原作テオフィル・ゴーティエ)
- 羅生門 1915年
- 鼻 1916年
- 芋粥 1916年
- 手巾 1916年
- 煙草と悪魔 1916年
- さまよえる猶太人 1917年
- 戯作三昧 1917年
- 運 1917年1月
- 道祖問答 1917年4月
- 偸盗 1917年4月・6月
- 蜘蛛の糸 1918年
- 地獄変 1918年
- 邪宗門 1918年
- 奉教人の死 1918年
- 枯野抄 1918年
- るしへる 1918年
- 犬と笛 1919年
- きりしとほろ上人伝 1919年
- 魔術 1919年
- 蜜柑 1919年
- 舞踏会 1920年
- 秋 1920年
- 南京の基督 1920年
- 杜子春 1920年
- アグニの神 1920年
- 藪の中 1922年
- 神神の微笑 1922年
- 将軍 1922年
- 報恩記 1922年
- 三つの宝 1922年
- トロツコ 1922年
- 魚河岸 1922年
- おぎん 1922年
- 仙人 1922年
- 六の宮の姫君 1922年8月
- 侏儒の言葉 1923年 – 1927年
- 漱石山房の冬 1923年
- 猿蟹合戦 1923年
- 雛 1923年
- おしの 1923年
- 保吉の手帳から 1923年
- 白 1923年
- あばばばば 1923年
- 一塊の土 1924年
- 桃太郎 1924年
- 大導寺信輔の半生 1925年
- 点鬼簿 1926年
- 玄鶴山房 1927年
- 河童 1927年
- 誘惑 1927年
- 蜃気楼 1927年
- 浅草公園 1927年
- 文芸的な、余りに文芸的な 1927年
- 歯車 1927年
- 或阿呆の一生 1927年
- 西方の人 1927年
- 続西方の
芥川龍之介『白』の作品より 直感・直観から書いた私のエッセイ
海外からですので、青空文庫でこちらの作品を読みました。
最初の印象として、罪悪感か・・というのがありましたが、罪と罰の価値観を書くのはちょっと重たいなと思いましたので、色で何かを象徴しているところも感じとれたので、色をテーマにエッセイを書いてみました。
私自身いつも、音楽のように流れるような文章を書きたいな・・と思っていて、あまり時間もかけずに直観的に書くことが多いです。ですので、いつも文章が私自身そのままのようになってしまい、これでいいのだろうか・・と思いながらも・・
文章というのは、自分のこと、体験や経験からしか書けないものだな・・とも思ったり・・しかし、文章を書くことはとても楽しみな時間です。
『白』は清らかな心の色
芥川龍之介の『白』の読後、なぜ、白い犬というタイトルにしなかったのだろう?
というのが、最初に浮かんだ疑問だった。白と黒という色の対比を使いたかったのだな・・とも思った。
白い色の服というのは、私自身あえて着ない色。汚れが目立ちやすいという理由もあるし、
また、父親が登山家(アマチュア)だったので、雪山で白い色は見えないということで、白い色を妙に嫌っていた
というのも影響している。昔、白い色のスキーウェアを購入した妹は、父親にかなり怒られていた。
私自身、白い服は、ウェディングドレスだけだったかもしれない・・。
黒い色の服というのは、世界中で多くの方が好んで着ている服の色かもしれない。
お葬式のイメージもあるが、昨今では、クールなイメージもあり、
女優さんも、黒いドレスをファッショナブルに着こなしている。
黒い服といえば、映画『マトリックス』も思い出す。
子育てをしている時、子供には黒い服は着せないようにと思っていた。
いろいろな明るい色を着せたいと思っていた。明るい世界を与えたいから・・
という理由だったと思う。黒い色は、子供にはふさわしくないとも思っていた。
あの人はクロだ・・とか、やはり黒のイメージは悪い。
反対に、あの人はシロだ・・とか、白のイメージは良いようだ。
ドイツでは、引越しの際には、必ず壁を家中すべて白に塗らなくてはいけない。
実際に、一昨年の引越しで白い壁を業者に塗ってもらい、日本円で30万もかかってしまった。
しかし、新しい家の壁が真っ白なのは、入居時にとても気持ちが良い。
汚い箇所がすべて塗られて、新居同様のようで、まっさらな感覚がある。
私たちの心もいつもまっさらでいなくてはいけないと思う。
誰かを恨んだり、後悔したり、悲しくなったり、落ち込んだり・・
心に黒いシミをつけているようではいけないと思う。
白は清らかな心の色。毎日、毎日、心の色は真っ白でありたい。
誰かに文句なども言いたくない。
なぜなら、真っ白な心が汚れてしまうから。
もちろん、嘘もついてはいけない。
嘘も方便・・なども、真っ白な心を汚してしまうかもしれない。
芥川龍之介も、『白』というタイトルにすることで、
多くの人に清らかな心を呼びかけていたのかも・・。
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